安曇野鱗翅観察室

蝶や自然の観察記録

安曇野の家が決まりました

安曇野へ移住すること、はずっと決めていたけど、

やっと決まりました。安曇野の家。

 

 

やっとと言っても8月ぐらいから探して、3ヶ月ぐらいか。

とはいえ、東京で物件探しをする感覚に比べると、当たり前だけど圧倒的に物件数は少ないし、その中でさらに条件にあうところを探そうとすると、本当に選択肢が少なくて、ちょっと途方にくれてしまうような気持ちになったりしていた。

 

私が安曇野で物件探しをするときに外せなかったのは、2LDK以上の広い間取りであることが一番大きかった。
銀塩写真をやっていて、自分でフィルムの現像からプリントまでする暗室作業が好きだったから、それをするための部屋をわけたかったのと、
その他もろもろ飼っている猫の手が届かない部屋を作りたかったからだ。

やっと見つけたその部屋は、
ほんの少し歩くとあたりは一面田んぼが広がっていて、
ベランダからは北アルプスが見渡せて、
スーパーへ行くよりも道の駅へ行く方が近くて、
同じ地区内には、長野と九州のごく一部にしか生息しない絶滅危惧種の蝶が棲んでいて、

「東京ではない価値」のある部屋だ。

 

住む場所を変えれば、何かが変わるとは思っていない。
でも、私は何かを変えたくて東京を離れるのは確かだ。
そこから先は自分で価値を作るのだから、その覚悟だってある程度できている。
いろいろと現実的に考えなければいけないことはたくさんあるし、
不安もたくさんあるけど、何よりも多くの蝶のそばで生きられることは純粋に嬉しいし楽しみに思う。

 

 

安曇野に引っ越すのは12月初旬。
南関東育ちの自分には、厳しい寒さが待っていることになるだろうけど、
それも含めて楽しみな部分が大きい。

ただ、引越しが決まったら決まったで、東京へ対する思慕も日々増していて、
センチメンタルな気分にはなる。
12年の月日を暮らした東京、たくさんの思い出があり、
「東京がわたしのものじゃなくなるなんて」という気持ちもある。

それから、わが故郷神奈川、および湘南へそう気軽にはいけなくなることの寂しさも大きい。
東京にいる間、私が蝶の観察のために使うフィールドはほとんどが神奈川の山だったし、湘南(特に大磯)への思いはひとしおにある。

 

そんな感じで安曇野と東京、神奈川の間で心が忙しなく、落ち着きのない日々だが、残り1ヶ月ほどだ。
天気の良い日には神奈川の山にでも登って、残りの生活を噛み締めようと思う。

 

蝶のオンシーズンもそろそろ終わりなので、そのまとめもしないといけない。

蝶と生きたいと思った日

ブログを書きたい、とずっと思っていた。

文章を書くことは子供の頃からずっと好きだったから、何かしら文章を書きたいという欲がずっとあった。

完璧な文章を書くための構想を練るばかりで、何年も過ごしてしまった。よくあることだろう。

 

ずっと筆が進まないままではどうしようもない。

書きたいことや、やりたいことはたくさんある。いま自分が何よりも人生の軸におきたいと思っているものを、完璧じゃなくてもいいからとりあえず書いてみようと思った。

私がいま、何よりも人生の軸としたいもの、
何かの選択に迷った時に指針にしたいもの、それは「蝶」である。
昆虫の蝶である。

 

私は蝶が好きだ。あの完全変態の大きな4枚の翅を持つ、昆虫が好きだ。

彼らに恋に落ちたのは数年ほど前のことで、まだまだ勉強中なので、正直めちゃくちゃ詳しいわけではない。
だけど、ここ数年の間に彼らに出会うために費やしてきた時間はかなりのものだと思う。どんな人と一緒にいるよりも、彼らと過ごしてきた時間は長いと思う。

こんなことを話していると、大概の人には好奇の目で見られるが、そんなことはどうでもいいのだ。

私はとにもかくにも蝶が好きだ。彼らと過ごす時間をどんな時間よりも最優先にしたい。

 

 

 

旅行は全て蝶が基準だと言っても過言ではない。ほぼ全て、観察旅行だ。

暦も全て蝶の発生が基準だし、
道を歩いていて目に入るものを視認するときも、蝶が基準になっている。

青くてぴかぴかしたレインコートをみれば、ギフチョウのトラップになりそうだなと思うし、
街路樹のクスノキをみれば、アオスジアゲハの都会での逞しさに思いを馳せる。

歩いていて頭上を羽ばたく影が映れば、だれ?と頭上を見上げて姿を確認せずにはいられない。

 

 

 

ここ数ヶ月、私はこれからどうやって生きていこうかな、とぼんやり悩んでいた。

コロナにより勤めている会社では在宅勤務が基本となり、たくさんの時間ができた。

たくさんの時間ができても春の間は特に外出はほぼできなかったから、たくさんの時間は即ち考える時間になった。

 

私は30代のいい大人だが、結婚にあまり興味が持てなかった。(というより誰かと一生共に生きるなんて自信がなかった)

仕事はそれなりに好きだし、昇進の野心もあったけど、年収をあげることに躍起になることが本当に自分にとって大切なのかわからなくなった。
年収はあげたいけど、いまの会社でサラリーをもらうだけではない、別の方法を考えたいなと思い始めた。

東京に住んで10年近く経つけど、いま本当に東京に住み続けることが正しいのか、わからなくなった。

そんな人は他にも多いんじゃないかと思う。

 

 

私はいろいろ悩んだ挙句、まずは東京を離れようと決めた。

東京は心地よい孤独を与えてくれる、大好きな場所だけど、
在宅勤務が主となったいまの自分にとって選択し続ける理由はないな、と思ったからだ。

いまの私が選択した生きる場所は長野県だった。

蝶の生息種類日本一。その数149種。
蝶に多くの時間を費やしてきた自分にとって、最高に憧れの地だった。

東京を離れる理由は、ここに書く以外にもいくつかあるけど、
長野を選択した理由は「蝶がいるから」。そこに限ると言っていい。

 

長野の中でもどこに住むかは、かなり最初から安曇野と決めていた。

安曇野は子供の頃に訪れたことがあり、そのときの記憶がずっと残っていて「いつかまた行きたい」という地であったことと、

尊敬する山岳写真家・高山蝶研究家の田淵行男の所縁の地だからだ。

 

 

安曇野に住むにあたり、不安はあった。
数少ない友人に会える機会が減ってしまうし、本当に今後の人生を考えて最良の選択なのか、と。

だが、安曇野に住むための物件探しをしながら、ついでとばかりに安曇野付近のフィールドを回っているうちに、
「多くの蝶に会えるなら、何かを失ってもいいのではないか。蝶と生きれるなら、そのための選択ならそれが最良ではないか」と思った。

蝶と生きたい。蝶と共に生きれる生き方をしたい。

それがいまの私にとって、もっとも大事な選択だ。そう思うことが、私の支えになった。

 

 

と言いつつ、実はまだ東京にいる。
安曇野の物件探しは難航していて、少し時間がかかりそうだ。

でもきっと、来春には安曇野の蝶たちと生きることができていると思う。

 

このあとも、蝶のこと、自然のこと、移住のことなど記録していきたい。

プロフィールになるような記事を書きたかったのに、蝶が好きということを書いて終わってしまった…。

それも散文で、何が何だかという感じだけど、とりあえずは記録することを続けられるよう、頑張ってみる。