安曇野鱗翅観察室

蝶や自然の観察記録

蝶と生きたいと思った日

ブログを書きたい、とずっと思っていた。

文章を書くことは子供の頃からずっと好きだったから、何かしら文章を書きたいという欲がずっとあった。

完璧な文章を書くための構想を練るばかりで、何年も過ごしてしまった。よくあることだろう。

 

ずっと筆が進まないままではどうしようもない。

書きたいことや、やりたいことはたくさんある。いま自分が何よりも人生の軸におきたいと思っているものを、完璧じゃなくてもいいからとりあえず書いてみようと思った。

私がいま、何よりも人生の軸としたいもの、
何かの選択に迷った時に指針にしたいもの、それは「蝶」である。
昆虫の蝶である。

 

私は蝶が好きだ。あの完全変態の大きな4枚の翅を持つ、昆虫が好きだ。

彼らに恋に落ちたのは数年ほど前のことで、まだまだ勉強中なので、正直めちゃくちゃ詳しいわけではない。
だけど、ここ数年の間に彼らに出会うために費やしてきた時間はかなりのものだと思う。どんな人と一緒にいるよりも、彼らと過ごしてきた時間は長いと思う。

こんなことを話していると、大概の人には好奇の目で見られるが、そんなことはどうでもいいのだ。

私はとにもかくにも蝶が好きだ。彼らと過ごす時間をどんな時間よりも最優先にしたい。

 

 

 

旅行は全て蝶が基準だと言っても過言ではない。ほぼ全て、観察旅行だ。

暦も全て蝶の発生が基準だし、
道を歩いていて目に入るものを視認するときも、蝶が基準になっている。

青くてぴかぴかしたレインコートをみれば、ギフチョウのトラップになりそうだなと思うし、
街路樹のクスノキをみれば、アオスジアゲハの都会での逞しさに思いを馳せる。

歩いていて頭上を羽ばたく影が映れば、だれ?と頭上を見上げて姿を確認せずにはいられない。

 

 

 

ここ数ヶ月、私はこれからどうやって生きていこうかな、とぼんやり悩んでいた。

コロナにより勤めている会社では在宅勤務が基本となり、たくさんの時間ができた。

たくさんの時間ができても春の間は特に外出はほぼできなかったから、たくさんの時間は即ち考える時間になった。

 

私は30代のいい大人だが、結婚にあまり興味が持てなかった。(というより誰かと一生共に生きるなんて自信がなかった)

仕事はそれなりに好きだし、昇進の野心もあったけど、年収をあげることに躍起になることが本当に自分にとって大切なのかわからなくなった。
年収はあげたいけど、いまの会社でサラリーをもらうだけではない、別の方法を考えたいなと思い始めた。

東京に住んで10年近く経つけど、いま本当に東京に住み続けることが正しいのか、わからなくなった。

そんな人は他にも多いんじゃないかと思う。

 

 

私はいろいろ悩んだ挙句、まずは東京を離れようと決めた。

東京は心地よい孤独を与えてくれる、大好きな場所だけど、
在宅勤務が主となったいまの自分にとって選択し続ける理由はないな、と思ったからだ。

いまの私が選択した生きる場所は長野県だった。

蝶の生息種類日本一。その数149種。
蝶に多くの時間を費やしてきた自分にとって、最高に憧れの地だった。

東京を離れる理由は、ここに書く以外にもいくつかあるけど、
長野を選択した理由は「蝶がいるから」。そこに限ると言っていい。

 

長野の中でもどこに住むかは、かなり最初から安曇野と決めていた。

安曇野は子供の頃に訪れたことがあり、そのときの記憶がずっと残っていて「いつかまた行きたい」という地であったことと、

尊敬する山岳写真家・高山蝶研究家の田淵行男の所縁の地だからだ。

 

 

安曇野に住むにあたり、不安はあった。
数少ない友人に会える機会が減ってしまうし、本当に今後の人生を考えて最良の選択なのか、と。

だが、安曇野に住むための物件探しをしながら、ついでとばかりに安曇野付近のフィールドを回っているうちに、
「多くの蝶に会えるなら、何かを失ってもいいのではないか。蝶と生きれるなら、そのための選択ならそれが最良ではないか」と思った。

蝶と生きたい。蝶と共に生きれる生き方をしたい。

それがいまの私にとって、もっとも大事な選択だ。そう思うことが、私の支えになった。

 

 

と言いつつ、実はまだ東京にいる。
安曇野の物件探しは難航していて、少し時間がかかりそうだ。

でもきっと、来春には安曇野の蝶たちと生きることができていると思う。

 

このあとも、蝶のこと、自然のこと、移住のことなど記録していきたい。

プロフィールになるような記事を書きたかったのに、蝶が好きということを書いて終わってしまった…。

それも散文で、何が何だかという感じだけど、とりあえずは記録することを続けられるよう、頑張ってみる。